経済環境・社会環境が劇的に変化する中、企業はデジタル化への組織的な備えをすることが求められている。そのためには、経営者から社員一人ひとりに至るまで、全員がデジタル技術についての理解・関心を持たなければならない。このように日本企業を取り巻く状況が変化する中、2022年12月、経済産業省と独立行政法人情報処理推進機構(IPA)から、全てのビジネスパーソンとDX推進担当者が身につけるべきリテラシーとスキルなどが網羅的に示された「デジタルスキル標準」が公表された。DX推進における人材の重要性が高まる中、各企業はこの標準をどのように活用していけばよいのだろうか。
本セミナーではまず、「デジタルスキル標準」を策定した経済産業省 商務情報政策局 情報技術利用促進課長の内田了司氏が策定の背景や狙いについて説明。次に、動画学習サービス「GLOBIS 学び放題」を事業展開するグロービスの事業責任者・鳥潟幸志氏が、組織全体でDX推進を行うために「デジタルスキル標準」がどのように活用できるのかを解説した。その後、両者による対談と質疑応答が行われ、デジタル人材育成について考えた。
※本稿は、日本の人事部の記事(https://jinjibu.jp/article/detl/tieup/3133/)を再掲載するものです。
Profile
内田 了司 氏
経済産業省 商務情報政策局 情報技術利用促進課長
1998年通商産業省(現経済産業省)入省。
知的財産政策室、大臣官房グローバル経済室、通商機構部参事官室等を経て、2015年内閣官房まちひとしごと創生本部事務局ビッグデータ室長(RESAS開発)、2016年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官、2019年デジタル通商交渉官兼デジタル通商ルール室長(WTO電子商取引交渉、日EUEPA見直し、日英EPAにおける国際的なデータ流通ルールの立案及び交渉並びに有志国間連携の推進)、2021年国際経済課長(G7・G20)に従事。2022年7月より現職。
鳥潟 幸志
株式会社グロービス グロービス・デジタル・プラットフォーム マネジング・ディレクター
埼玉大学教育学部卒業。グロービス経営大学院 経営研究科 経営専攻修了(MBA)。
サイバーエージェントでインターネットマーケティングの法人営業として、金融・旅行・サービス業のネットマーケティングを支援。その後、デジタル・PR会社のビルコム株式会社の創業に参画。取締役COOとして、新規事業開発、海外支社マネジメント、営業、人事、オペレーション等、経営全般に約10年間携わる。グロービスに参画後は小売・グローバルチームに所属し、コンサルタントとして国内外での研修設計支援を行う。その後、社内のEdtech推進部門にて『グロービス・オンライン研修プログラム』の立ち上げを行う。その後、『グロービス学び放題』を立ち上げ、現在は同事業の事業リーダー及びデジタル・プラットフォーム部門のマネジング・ディレクターを務める。グロービス経営大学院ではベンチャーマネジメントの講師、及び科目責任者を務める。企業研修ではクリティカル・シンキング、マーケティング、新規事業立案領域の講師を務める。
内田 了司氏 (経済産業省 商務情報政策局 情報技術利用促進課長)
内田氏はまず、デジタルスキル標準が策定された背景について説明した。
デジタル人材の育成・確保のニーズが高まる中、デジタル人材の育成の度合いや目指すべき姿の指針を求める声が多数の企業の担当者から挙がっていた。そこで、経済産業省と独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が昨年12月に公開したのが「デジタルスキル標準」だ。
経済産業省のデジタルガバナンスコードでは、DXの定義を「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」としている。
「デジタル化はゴールではなくて、あくまでも手段。目指すところは、組織文化を改革しながら、ビジネス環境の変化に企業が対応し続けることです。これは終わりのないプロセスですが、それこそがDXだと私たちは考えています。DXを進めるためには、当然DXを進めるための人材が不可欠です。企業のDX推進とデジタル人材育成は両輪、あるいはコインの裏表であると考えます」
また、政府は2022年6月にデジタル田園都市国家基本方針を閣議決定した。DXを全国的に普及させるために重要な役割を担うデジタル推進人材を、政府としても積極的に育成・確保していくために、2026年度末までに130万人の育成を目指している。
経済産業省で進めるデジタル人材育成施策には、3本の柱がある。一つ目の柱は、どういった人材像が求められるかというスキルの見える化だ。これが、今回公表した「デジタルスキル標準」にあたる。二つ目の柱は、スキルを身につけて学習効果を測るという観点から、情報処理技術者試験やITパスポートの活用・アップデート。三つ目は、官民学からリリースされている約300講座を集約したプラットフォーム「マナビDX」を立ち上げ、リスキリングの場を提供していることだ。
今回のメインテーマである「デジタルスキル標準」は、DX時代の人材像をあらためて整理したもので、個人の学習や企業における人材確保・育成の指針となるものだ。企業・組織の従業員全員がDXを自分ごととして捉え、企業全体の変革の受容性を高めていくために活用することが期待されている。
デジタルスキル標準は、全てのビジネスパーソンが身につけるべき知識・スキルを定義した「DXリテラシー標準」と、DXを推進する専門人材の役割や習得すべきスキルを定義した「DX推進スキル標準」の二つで構成されている。
「DXリテラシー標準」は、DXの背景を理解する「Why」、DXで何のデータ・技術を活用していくかの「What」、そのデータ・技術をどのようにして使うかの「How」、そして、それらのベースとなる「マインド・スタンス」を定義。これらの行動例や学習項目例を提示している。
「高校で情報Ⅰが必修になり、デジタルリテラシーを常識として身につけた学生たちが社会に出てくる時代です。そのため、これからは社会人がDXリテラシーを持っていない状況はありえない。リテラシーは全てのビジネスパーソンが身につけるべきだと考えています」
内田氏は、企業がDXを推進する人材を十分に確保できていない背景には、そもそも自社に必要な人材を把握できていないことがあると言う。
「『適切な人材が社内にいても気がつかない』『育成しようにも、どのようなスキルを身につけさせたらいいのか分からない』『どんな人材を採用したら良いのか分からない』という状態の企業も多いのではないでしょうか。今回公開したDX推進スキル標準は、社内の人材の発見・把握や、採用活動などに資することができると考えています」
DX推進スキル標準は、「ビジネスアーキテクト」「デザイナー」「データサイエンティスト」「ソフトウェアエンジニア」「サイバーセキュリティ」の五つの人材類型とロール(役割)、それぞれが担う責任を示している。
さらに、人材類型のロールがそれぞれどういうスキルから構成されているのかを示したのが「共通スキル項目」だ。「ビジネス変革」「データ活用」「テクノロジー」「セキュリティ」「パーソナルスキル」の5カテゴリーに分かれており、さらにサブカテゴリーやスキル項目と細分化されている。
ポイントは、共通スキル項目がその名の通り、五つの人材類型の全てに共通して必要とされるスキルとして定義されていることだ。例えば、データサイエンティストの人材類型の中のデータサイエンスプロフェッショナルという役割。「ビジネス変革」カテゴリー内の「ビジネス戦略策定・実行」というスキルの重要度は「d」とある。一方で、「データ活用」カテゴリー内の「機械学習・深層学習」というスキルの重要度は「a」となっている。このように、共通スキル項目の全てがそれぞれの役割によって重要度「a」から「d」までの重み付けがされているのだ。
「重要度『d』のスキルは、一見データサイエンティストには関係ないスキルと思われますが、そうではありません。重視されるスキルはもちろんのこと、高度に備える必要はないものの位置づけや関連性の理解をしておくことに意義があると考えているからです」
DX推進スキル標準の具体的な活用イメージとして、企業・組織であれば自社のDXを進める上で不足している人材や知識・スキルを可視化することで、人材育成・採用の際の指針を明確化できる。推進人材(個人)であれば、自身に足りないスキルを見える化でき、習得のための研修コンテンツを受講できる。
「また、グロービスのように学習コンテンツを提供する事業者には、DX推進スキル標準に対応した研修コンテンツを提供することを期待しています。デジタルスキル標準は、皆さまからのフィードバックも得ながら、テクノロジーの進展に伴って見直していく予定です。企業がデジタルスキル標準を人材育成の指針のひとつとすることで、人材育成市場が活性化することを期待しています」
鳥潟 幸志氏 (株式会社グロービス グロービス・デジタル・プラットフォーム マネジング・ディレクター)
第二部では、鳥潟氏が実際に人材育成の事業を手がける立場から、デジタルスキル標準をどのように活用できるのかについて、DX人材育成を先行事例として進めている味の素の事例も交えながら説明した。
グロービスは、社会人教育やMBA、研修など人材育成に特化したサービスを提供している。鳥潟氏が事業責任者を務める定額制動画学習サービス「GLOBIS 学び放題」は、ビジネス領域からIT・デザインまで1800のコースを提供。累計約3300社以上の企業に導入されている。
「コスト削減が目的のIT化に対して、DXは新収益の創出が目的であると考えます。そのためには、デジタルを活用する力だけでなく、ビジネスを構想する力も組織をリードする力も必要です。デジタルスキル標準はテクノロジーに留まらずビジネス・組織変革まで幅広く網羅されていて、本質的なDXを推進するための標準が示されていると解釈しています」
鳥潟氏は、DX人材育成にあたって押さえておくべき視点は5W1Hに沿った「問い」であると強調する。「DXをなぜ今学ぶ必要があるのか(When)」「どのような場面でDXが求められているのか(Where)」「DXは誰が学ぶべきか(Who)」「DXとは何を学ぶべきか(What)」「「DXはなぜ必要なのか(Why)」「DXをどのように学ぶべきか(How)」を、経営陣や現場リーダーとすり合わせつつ、研修の受講者へもメッセージングすることがポイントだ。
「特に『何を学ぶべきか(What)』は解釈がバラバラで、多くの企業が悩んでいるのではないかと推察します。昨年末にリリースされたデジタルスキル標準は、特に重要なWhatの部分を明確に示しているので、一つの最適解になり得ると考えています」
これまでグロービスのサービスを利用した3000社を超える企業とのかかわりから、鳥潟氏はDX人材育成に成功している企業の特徴を整理。成功しているケースを分析した結果、下図のような4象限に分けて優先順位を明確にしていることがわかったという。横軸の右側が一般従業員(全社員)、左側がDXを推進する専門人材、縦軸の上側が知識・スキルで、下側が実践力としている。
第一象限の「DXが求められる背景と必要な知識を全社員が理解している状態」が、優先順位1位だ。その上で、第二象限の「DX推進者が必要な知識を体系的に習得している状態」と、第四象限の「一般従業員がデジタルツールを適切に活用できる状態」が優先順位2位となる。そして、最終的に第三象限の「DX/IT人材がより高度なスキルを身につける状態」を目指す、という流れだ。
「3ヵ年、5ヵ年と長いプランを立てて、まずは全社員にしっかりと教育機会を提供(第一象限)。その中から行動パターンとしてDX・IT関連の部署に異動・兼務し、さらに知識を身につけ(第二象限)、そこからさらに実務に落とし込んでいく(第四象限)、というパターンが多いように思います」
この四象限はDXリテラシー標準とDX推進スキル標準に当てはめることができ、人材育成の各領域においてデジタルスキル標準が活用できると鳥潟氏は言う。
「DXリテラシー標準のスキル項目の一つを見ると、かなり具体的な形で分解されています。しっかりと読み込んで理解し、各企業の文脈に合わせて取捨選択していくことが理想です。グロービスでは、DXリテラシー標準に準拠したコンテンツを提供しています。DXリテラシー標準を体系的に学べるラーニングパスをリリース済みで、年内に全てのDX推進スキル標準に対応したラーニングパスもリリースする予定です」
最後に、先行事例として「DX銘柄2022」にも選定された味の素の事例が紹介された。味の素は2020年からビジネスDX人財育成コースがスタートし、初級・中級・上級と三つのレベルで幅広く学びの機会を提供している。そのうち初級を「GLOBIS学び放題」の認定要件に設定。長い期間をかけて全社員にしっかりと学習機会を提供し、DX専門人財の育成に成功している。
「味の素の事例に示すように、まずは全社員の啓蒙から始め、中級・上級とステップを刻む育成手法は有効な手段です。デジタルスキル標準の内容は多いですが、視界が広がり育成に対する向き合い方も変わってくると思うので、ぜひ読み込んでほしいと思います」
セミナーの最後は、内田氏と鳥潟氏による対談と、参加者の質問に答える質疑応答が行われた。
鳥潟:なぜ、このタイミングでデジタルスキル標準を作成・発表されたのでしょうか。
内田:DXは待ったなしの状況ですが、社内にデジタル人材がいない企業は多く、人材不足が顕著です。また、「DXを進めるためのスキルやリテラシーレベル、専門スキルを示す明確な指針・道しるべがない」という声をさまざまな企業から耳にしていました。そこで今回、リテラシーとDXの推進スキル標準を可視化する作業を行い、公表することになりました。この指針が出たことで、「社内人材育成に活用していきたい」という声も多く聞いています。デジタルスキル標準への理解を深めた組織・企業が増えることを願っています。
鳥潟:採用の軸や評価軸、育成、HRに関わるあらゆるバリューチェーンで活用されることが期待されますね。
二つ目の質問です。DXリテラシー標準では、経営層から一般社員まで幅広く身につけることの重要性が述べられています。その理由は何でしょうか。
内田:私たちを取り巻く経済環境・社会環境が劇的に変化しており、その影響は不可逆です。
そのような時代背景の中、企業が引き続き社会に存続して価値を生み出し続けるためには、変革への受容性、つまり変革のための組織的な備えが必要です。経営者から末端の社員一人ひとりに至るまで、デジタル技術を理解し、それがもたらす効果への理解・関心を深めて、自分ごととして捉える状況をつくることが必要だと考えます。
内田:ITパスポート試験は、最新の事例を取り込みながら問題を随時アップデートしています。学識経験者だけでなく企業の方など、最新の事例をご存じの方にもご協力いただき、試験をアップデートしています。DXリテラシー標準とITパスポート試験は包含関係があると考えていいと思います。
リテラシーが身についたかどうかを効果測定するのは各自の判断ですが、組織全員にリテラシーを身につけてほしいときに、試験の合格を目指してもらうのも一つの手法だと思います。実際に、ITパスポート試験の応募者は前年比170%で、特に非IT企業で圧倒的に伸びています。
内田:経営者の理解不足や社内の人材不足が考えられます。その上で、経営者のコミットメントは企業の大きさにかかわらず必要ですが、他方で、社員の理解が進まず、DXを進める上で社員が抵抗勢力になってしまったというケースは、失敗事例からよく聞かれます。
組織がデジタル技術を取り込むと、何かしら仕事の在り方が変わるはず。組織が変わっていく中で自分の仕事を見つけたり新たなスキルを身につけたりと、変革への受容性は重要だと考えます。
鳥潟:デジタルスキル標準をきっかけに日本企業全体のDXが進み、経済が活性化し、働く皆さんが幸せになるという状態を一緒に作っていければと思います。